2021/03/13

令和 3 年度(2021 年度)高専・高校 受験記

3 校受けました

Kyure_A​(キュレェ)です。

中学校を​卒業して​暇に​なったので、​駄文かつ需要の​ない​ものを​書こうと​思い​立ちました。

俺は​近所に​ある​工業高等専門学校​(以後​高専)​一点に​絞って​受験を​受けたかったのですが、​滑り​止めと​して​簡単な​私立を​受けてしまって、​後悔しています。

皆さんは​私立を​明確に​滑り​止めと​して​受けるのではなく、​自分の​実力を​了知する​ための​適正な​学校を​受けた​ほうが​いいです。

そして、​受験期に​なったら​ Twitter からは​ログアウトして、​机と​己に​向かい合う​ことを​おすすめします。

そうしないと​自分は​「努力すれば​もっと​上の​学校に​行けた」と​思い込んだまま​一生​引きずってしまうので。

以下の​記事に​インスパイアされています。​ありがとう​ございました。

https://atree.hatenadiary.com/entry/jukenki

https://lisa0.hatenablog.jp/entry/2017/12/03/064218

中学一年​生

小学校時代の​友人は​中高一貫校に​進学したので、​中高一貫校への​漠然とした​憧れを​持っていた​ものの、​近所に​ある​公立中学校に​進学しました。

自分の​思想に​影響を​与えた​出来事と​いいますか、​これが​高専を​選ぶ元凶と​なったと​いえる​出来事と​いえば、​本格的に​ Twitter を​始めた​ことです。

当時、​俺は​スマホが​好きな​人が​集まる​コミュニティに​所属していたのですが、​その​スマホを​集める​人間に​高専生が​多かった​ため、​影響を​受けて、​高専と​いう​選択肢を​眼中に​入れるようになりました。

当時は​仲間意識が​芽生えた​その​一群が​所属しているような​学校に​入ってみたい、​彼らのような​人間と​日常的に​話してみたい、と​いうように​高専に​憧れを​抱いていたのかもしれません​(今は​自分と​似た​人間と​向き合うのは​普通に​嫌ですが)。

しかしながら、​今​思えば、​憧れていたのは​中高一貫である​ 6 年間、​自由に​趣味​(どのような​ものを​想像して​もらっても​構いません)を​自身の​長所と​して​鞠育する​ことができる​時間や​空間であったのだと​思います。

こうは​述べていた​ものの​勉強は​一切しない​日々でした。​憧れとは​いった​ものの、​本当に​頭の​片隅に​置いていただけでした。

中学二年生

黒歴史。​この​時期も​ Twitter を​やっていましたが、​一番の​思春期と​いいますか、​羞恥心と​いう​言葉が​あまりに​矮小に​聞こえる​ほど​気持ちの​悪い​ツイートを​していた​時期だと​思います。

チュウニズムと​いう​ゲームに​一番ハマっていたのも​この​時期です。​当時は​体力が​ありました。

夏頃は​高専カンファレンスに​顔を​出していました。​中学生であると​名乗れば、​特殊な能力を​持たない​人間でも​褒め称えられ持て​囃される​空間でした。

俺が​今言いたい​ことであり、​これから​高専生に​なってしまう​人間と​しての​お気持ちは、​「中学生」と​いう​吹けば​飛ぶような​肩書きの​人間を​甘やかしてはならない、と​いう​ことです。

「精神年齢が​高い」

「この​年齢で​この​分野に​興味が​あるなんて​すごい」

と​いうような​言葉は、​その​人間を​つけあがらせるだけではなく、​後の​呪縛と​して​襲い​かかります。​今、​俺は​この​言葉に​甘やかされ、​乗せられて​一切の​努力を​怠った​自分が​殺したい​ほど​憎いです。

他人の​評価には​惑わされずに、​自己を​客観視できるようになりましょう​(自戒)。

https://twitter.com/Kyure_A/status/1133002909111558146 https://twitter.com/Kyure_A/status/1206183076017033218

ちなみに、​10 月くらいから​塾に​通い​始めました。​しかしながら​その塾は​進学塾ではなくて​地方の​個別指導塾でした。​塾の​環境と​しては​託児所みたいなかんじでしたが、​勉強する​場所を​設ける​ことで​一日に​一時間くらいは​勉強できるようになりました。 (エーッ短い?)

中学三年生

新型コロナウイルス感​染症が​猛威を​奮い、​安倍元総理が​休校を​要請したのは​周知の​事実であろうと​思います。​この​時期に​「競技プログラミング!​高校数学!」と​意気込んでいたのですが、​Twitter を​毎日​見る​日々で、​全く​と​言っていい​ほど​勉強を​していませんでした。​(前述した塾で​週に​二回くらい​勉強するだけ)

この​空白期間に​一切身に​なる​ことを​しなかった​自分の​怠惰さは、​一生治らないのではないかと​恐怖して、​そして​後悔しています。​この​後悔は​今の​自分の​原動力に​なっていますが、​当時もしっかりと​スキルを​磨いていれば、​もっと​上位の​学校に​進学できたのではないかと​いう​未練が​残り続けています。

緊急事態宣言は​出されていた​ものの、​最初の​ほうは​休日に​ゲームセンターが​空いていたので​毎週​通っていました。

なんか​進学塾ではないのに​渋幕の​過去問が​置いて​あったのは​よく​わかりません。

そも​そも​大阪の​私立上位高校の​過去問は​置いていないのに、​明らかに​学力層に​見合わずに​距離的にも​無理が​ある​学校の​過去問を​置かないで​ほしい。

この​頃くらいに​国立高専の​過去問を​買いました。​俺の​受けた​高専は​公立高専だったのですが、​国立と​同じ​問題を​入学試験で​用いている​高専であったので、​のんびりやっていました。

ちな​みに​過去問は、​国語と​英語は​ 9 割弱を​取れており、​他の​教科は​ 7 割程度と​いう​感じの​点数配分でした。

この​点数でも​受かるだろうと​浮かれていたのですが、​今思うと​ギリギリです。

八月くらいに​高専卒の​ツイッタラーと​会ってきました。​この​人、​俺と​会った​数日後とかに​京大の​合格ツイートを​していたと​思うので、​その​時は​普通に​なんとも​言えない​顔に​なりました。

彼と​話した​ことの​内容は、​高専に​ついてや勉学に​ついての​話などで、​身に​なる​話を​していただいたと​思います。​これらの​話を​聞いて​モチベーションが​アップしました。​ありがとう​ございました。

一緒に​ラーメン屋にも​行ったのですが、​普通に​金を​返すのを​忘れていました。​また​会った​ときに​返します。​申し訳無いぜ……。

入試総合

全体​的に​当日は​一切​緊張しませんでした。​どちらかと​いうと​学校で​受験当日の​事を​考えた​ときに​過呼吸に​なる謎体質でした。

近畿大学工業高等専門学校

私立高専です。​私立の​高専が​ある​ことは​中学二年生くらいから​知っていましたが、​本当に​受けるとは​思いませんでした。

受けようと​思った​きっかけは、​模試の​広告欄に​掲載されていた​ことです。​模試の​広告欄で​私立を​選択する​人は​意外と​多いのでは?と​選んだ​側と​しては​感じています。

1/21 に​受験が​ありました。​複数の​会場で​受験が​行われるとの​ことなので、​俺は​大阪会場​(日建学院って​ところ)で​受験を​受けたのですが、​7 人くらいしか​受験者が​いませんでした。

例年、​数学は​高校範囲が​出る​(学力層に​明らかに​見合っていない)​ことが​自分の​中で​話題に​上がっていましたが、​今年は​範囲削減の​影響も​あってか中学範囲に​まとまっており、​例年の​数倍は​簡単な​問題で​あったと​記憶しています。

明らかに​受かる​学校であった​ため、​緊張も​何も​せずに​休み時間に​スマホを​いじっていましたが、​他の​人は​ギリギリまで​参考書を​読んでいたので​「えらいな​あ」と​思っていました。

英語は​「I () car の​括弧の​中に​入る​単語を​答えよ…​ 1, bye 2, buy 3, bike」みたいな​ガチで​舐めている​問題が​出てきて​悲しくなりながら​解いてました。​30 分くらい​余りました。

結果は​勿論と​いっていいのですが​合格でした。​しかしながら​特待生制度が​ないので、もし本命に​落ちたら​クソ高い​学費を​払わされたりしたんだろうな​あと​思い、​腹が​立ちました。

大阪電気通信大学高等学校

2/10 に​受験が​ありました。​カスでした。​高専に​落ちた​時に​四年次で​編入する​ための​選択肢と​して​工業科を​選んだのですが、​普通に​受験料の​無駄なので、​適正の​ところ​(普通科)を​受けて、​自分の​実力を​裏付ける​指標を​作り、​自信を​つけた​ほうが​いいと​思います。

特待で​合格でした。​学費免除とかじゃなくて​振り込みで​ 30 万​(少なくない?)が​貰えるだけだったらしいです。

大阪府立大学工業高等専門学校​(現: 大阪公立大学工業高等専門学校)

第一志望でした。

2/21 に​受験が​ありました。​友人も​この​高専を​一緒に​受けると​いうのも​あり、​一緒に​受験会場に​向かいました。

前日は​他の​高校を​受ける​友人と​一緒に​ラーメン屋に​行き、​8 時間くらいの​過不足ない​睡眠を​取りました。

この​日に​持っていった​特有の​装備品と​して

  • チョコラ BB ハイパー
  • 森永ラムネ
  • お弁当

が​挙げられます。

試験時間が​ 7 時間くらい​あったので、​昼食の​準備を​したのと、​集中力が​上げられそうな​小道具を​持ち込みました。

プラセボ効果も​あるとは​思うのですが、​長い​睡眠時間と​相まって​人生で​一番​集中​できたのではないか、と​思っています。​カフェイン + ブドウ糖は​最強なので、​皆さんも​ここぞと​いう​ときに​利用してみると​嬉しくなれるでしょう。

例年に​比べて​数学は​とても​易化していました。​3 完くらいできて​そうだな〜と​思っています。

しかしながら、​例年に​比べて​社会は​とても​難化していたので​ここで​点数が​整えられていると​思いました​(期待値で​ 40 点くらいだった​気が​する)。

点数の​開示が​ 4 月上旬に​ある​ため、​開示請求を​した​あか​つきには​成績を​掲載します。

追記 (2022/01/11)

同じ​高専の​先輩方の​ありが​たい​ご指導​(笑)を​受けて​一時​期この​記事を​非公開に​していた​ため、​成績の​掲載を​忘れていました。

ほとんど​高専に​ 1 年間ほど​在籍した​感想は​またいつか​書くと​して、​取り敢えず​開示された​成績を​掲載します。

入試得点​(括弧内は​傾斜配点 1.5 倍計算後)

  • 国語: 96
  • 数学: 67​(101)
  • 理科: 69​(104)
  • 社会: 40
  • 英語: 86​(129)
  • Σ 358/500​(470/650)

72% ほどの​得点率でした。​お世辞にも​高いとは​言えない​点数であり、​下で​掲載している​「易化していたと​感じた​数学」も​ 67 点と​思いの​外振るっていません。​(言い訳を​すると、​大問 1 に​例年とは​違い​配点が​ 5 点の​問題が​多数存在し、​それを​無視していた​せいで​点数を​落としたのではないかと​考えています)

全体​的に​文系科目で​受かったと​考えても​おかしくは​ないです。

私の​受験年度は​新型コロナウイルスに​よる​休校が​影響して​範囲変更が​あった​ため、​全体​的に​易化していた​ことと合格倍率が​例年より​低かった​ことを​鑑みると​この​点数は​例年では​合格できない​点数ではないかと​考えています。

特に​社会科が​酷い、​受験生は​なんとか​した​ほうが​いいです。​(期待値で​ 40 点、​マジだったので)

上は​休み時間に​した​ツイートです。​本番も​スマホを​見たり、​参考書の​かわいくはない​フクロウの​絵を​眺めていました。

受験会場での​写真は​お弁当しかなかったです​(母上に​感謝)。

そして、​2/25 の​合格発表では、​友人共々合格していました。

受かった​ときの​気持ちなのですが、​嬉しさと​当然であろうと​いう​気持ちが 4:6 くらいでした。

友人は​当時、​学校を​出席停止に​なっていた​ため、​同じ​空間で​喜びを​共有できなかったのは​残念でしたが、​両者ともに​合格できて​嬉しい​限りでした。

〆の​言葉

と​いう​ことで、​俺は​ 大阪府立大学工業高等専門学校 に​春から​入学する​ことになりました。​よろしく​お願いします。

在校生や​新規の​入学生の​方​々との​交流は​俺の​性格上、​慎重に​行う​ことと​しているので、​なんらかの​負の​感情を​抱かせる​アクションを​行うかもしれませんが、​大目に​見ていただけると​嬉しいです。

入学以前、​そして​入学してからは​ 数学と​競技プログラミング に​本腰を​入れて​取り​組んでいきたいと​思います。​また​大学附属の​学校である​ため、​図書館の​蔵書も​多いだろうと​感じ、​好奇心で​心が​躍っています。​よかったら​一緒に​勉強を​していただけると​嬉しい​限りです。

今俺は、​この​学校に​入る​ことが​新たな​人生の​スタートに​なると​感じています。​これまでの​人生で​支えてくれた​両親や​友人、​フォロワーに​感謝しても​しきれません。​心より​ありがとう​ございました。

そして​文章を​読んでくださった​あなたにも​感謝しています。​ありがとう​ございました。

追記 (2023/08/13)

当時​使っていた​アカウントが​凍結し​た​ため、​当時の​ツイートが​全部​リンク切れに​なってしまいました……​(本文への​変更は​この​追記時には​行っていません)。

追記 (2023/09/27)

Wayback Machine に​ アーカイブ が​あったので、​どのような​内容だったかの​スクショを​貼り付けました​(この​サイトでは​スクショを​省略しています)。